2016年5月1日は八十八夜ですね。
でも、八十八夜ってなんで「八十八なの?」と聞かれたらわかりますでしょうか?
今回は、八十八夜の由来や関係のある「水口祭り」について記事にしました。
八十八夜を楽しむ前に確認していただければ、より楽しめること間違いなしですよ♪
八十八夜の由来は?
八十八夜とは、立春から数えて88日目をいい、5月1日~5月3日頃になります。
この日からおよそ3日後は立夏であり、旧暦ではまさに春と夏の変わり目の時期にあたります。
八十八夜は日本独自の雑節(ざっせつ)の1つで、この日が初めて暦に記載されるようになったのは、明暦二年(1656)の伊勢暦(いせごよみ)になります。
さらに正式に暦として八十八夜が記載されるようになったのは、貞亨三年(1686)からです。
稲作では、種もみを蒔く目安にしている地域が多くあります。
「八十八」と「八」が2つ入る日になったのは、季節が適していたという理由もありますが、「八十八」が米の文字を意味することにも由来します。
現在では稲の品種改良が進んだので、もっと早くから種まきをする地域もありますが、昔はこの日を待って初めて稲の種をまいたんです。
また、この日は茶摘みの開始の目安にもなっていて、この日に摘み取った茶葉を八十八夜の新茶として珍重するところもあります。
八十八夜の新茶は不老長寿の縁起物で最高のお茶とされていますよね。
この日に摘んだお茶を飲んで一年の無病息災を祈ります。
八十八夜の別れ霜とは?
八十八夜の時期は、大陸からの移動性高気圧が南下してくる影響で、昼間は暖かいのですが、夜は急に冷え込んで霜が降りることがあります。
この霜を「晩霜(ばんそう)」と言って、植物の新芽や若葉は一晩のうちに枯れてしまうんです。
これが、八十八夜を過ぎると霜が降りることはなくなり、霜の被害はなくなると言われています。
これを、農民たちの間で「八十八夜の別れ霜(わかれじも)」と呼ばれていました。
このほかにも、地域によって「八十八夜の泣き霜」、「八十八夜の忘れ霜」なんて言ったりします。
実際には、南北に長い日本列島では気候のずれが大きい事や、山間部と平野部では気温が違う事などから八十八夜を過ぎても霜がおりる地域は多くあります。
それでも種まきや茶摘みの目安として八十八夜を基準にする地域が多いのは、伊勢歴の普及による所が大きく、農業の基準に重要視していたことがうかがえます。
八十八夜と水口祭りとの関係は?
現代では稲の品種改良が進み、早い時期から種まきを開始する地域もありますが、昔は八十八夜を待って、この時期に初めて種をまいていました。
この種をまく行事を「水口祭り(みなくちまつり)」と呼んでいます。
水口祭りってどんな祭り?
水口祭りは「苗代祭」なんて呼ばれたりもします。
正月の粥占い(かゆうらない)に使った粥掻き棒(かゆかきぼう)を苗代(なわしろ)の水口に立て、それに種籾(たねもみ)の残りで作った焼米をのせる風習が全国で広く行われています。
その焼米を取りが早く食べる年は豊作だと言われます。
また、卯月八日(うづきようか)に山に行って採ってきておいたウツギ・栗・ヤナギなどの花を飾ったり、粥占(かゆうら)の棒の代わりに牛王(ごおう)とよぶ護符をさした串・松苗(神社の御田植信じに苗の代わりに使う松の小枝)などを立てる地域もあります。
長野県などでは、この日に粥を炊いて田の神にささげます。
また、新潟県佐渡では、桟俵(さんだわら:米俵の両端の円いフタの部分)を棒にさし、そこに苗代を立てて、霜よけのまじないとします。
この他にも、水口祭りを神社で行う例も多く見られます。
さいごに
八十八夜はゴールデンウィークと重なっていることもあり、レジャーを優先することも多くなりますが、たまにゆったりと昔ながらの行事に興じるのも心が豊かになる気がしますよね。
八十八夜を豊かに楽しむ手遊びのやり方やお茶の入れ方も記事にしましたので、こちらも参考にしてみてくださいね。
それでは。
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